こんにちは、桐生真也です。
私は色々な人を見るたびに、憧れます。
特に成功しているような人を見ると、羨ましいなこんな生活とか思ってしまいます。
自分にできないことをやってのける人を見ると、自分が小さい人間すぎて辛くなります。
どうして自分にはそんな風に前へ進む力がないのだろうって。
去年はそんな感じで、誰かと自分を比較して、勝手に苦しみ悩む一年でした。
毎日のように落ち込んで、ないものねだりして。
でも年が明けて、ちょっと開き直ることにしました。
今回はそんなお話です、きっと面白くはありません。
拙い文章ですがご容赦ください。
気ままにお付き合いいただけたら幸いです。
こんな人生苦しいだけだなんて言わない!

私は桐生真也、凡人です。
改めまして、桐生真也、一般的な凡人です。
これと言って取柄と呼べるものはなく、誰からよりも優れている点などない、ありきたりで、何処にでもいる一人の人間です。
輝かしい実績もなく、やり遂げたと言えるようなこともなく、平々凡々とした日々を今日まで過ごしております。
勉強も努力も苦手で、失敗や苦労ばかりの毎日です。
多くの成功者のような並々ならぬ努力であったり、画期的なアイデアも浮かびません。
一生お金には縁がないだろうな、苦労して生きていくだろうなと、まだ見ぬ未来に不安を抱える人間す。
でもどうでしょう、それって悪いことですか?
自分よりも優れた人と比べる必要はありますか?
その頂に辿り着きたいという強いモチベーションがあるならば、或いは比較すべきかもしれません。
成功者と自分とで何が違うのか分析し、成功者を模倣し、その為に勉強し努力できるのなら、それはそうすべきだと思います。
今や知らない人は少ないだろうというほどの知名度を誇るYouTuberのヒカキンさん。
彼はその世界に足を踏み入れてからというもの、その業界の最高峰をひたすらに模倣し、表現の仕方や編集方法などを吸収していったそうです。
私はそれを凄いことだと思いました、もちろん思うだけで同じようにできるとは思いませんでした。
ブログを書き始めるにあたって、それだけで生活できるレベルになっている成功者の話もたくさん読みました。
少なくとも私が読んだ人たちは、誰一人欠けることなく自分の時間の全てをそこに費やし、たくさんの勉強や研究という努力を重ね、自らを高める為の出費も惜しんでいませんでした。
そして皆が口を揃えて言うのです、自分は普通の人だったと。
でも私は凡人として思います、その歩みを止めないで進み続けることができることは、大きな一つの才能であると。
それが誰にでもできることではないから、世の中が成功者で溢れているわけではないのだと。
自分で自分を弱者と認め、日々の苦労さえ享受しているような私にとっては、それは輝くような才能だと思うのです。
浅はかで、努力をせずに、でもできれば余裕が欲しい!主にお金!
そうやって甘いことを考えているのが私です。
ただ私は凡人としてこう思います、別にこのままだって悪いことはないと。
日々労働にいそしみ、自分の時間も望むほど得られずとも、それでも自分なりの幸福は探せるだろうと思うからです。
努力をしないでいることが悪いことだと、つい考えがちです、私もそうですから。
努力も苦労もせずに得られるものはないと解っていながら、そうしないのですからね。
だって自分に自信がない、達成できると思えない、あの人たちと私は違うんだ。
後ろ向きな考え方ですか?人に話すような考え方ではないでしょうか?
いいんですよ、私は自分の成功体験を誰かと共有して成功に導いたり、人目を引こうとなんてこれっぽっちも思っていませんから。
凡人であるならば、凡人であろうと努力するのみです。
凡人なのだから、凡人であろうとすることは苦痛でも何でもありません。
日々を堅実に生きること、頑張ったご褒美に時々でも楽しいことや嬉しいことにお金を使うこと。
これでいいんです、それでこそ凡人です。
そんな人生嫌だ、自分は成功するんだ!
そう思う方はそれでいいんです、どんどん上を目指していきましょう。
大事なのは、自分が納得できるかどうかです。
誰かと比較してどうだとか、自分はもっと努力しなければならないんだって不安とか。
そういう感情を抱えながらも、身の丈に合った範囲で気楽に生きること。
身の程をわきまえろ!
そうです、わきまえないととっても疲れます、苦しいです。
この言葉は誰かから言われるとなんだか悔しい気持ちになりますが、こうやって自分に向かって言えば大丈夫です。
身の程をわきまえろ!頑張りすぎるな、そんなに頑張ることなのか?
もっと自分を労わりましょう、無理して自分が崩れると今よりももっと苦しいですから。
どんなにお金を稼げても、自分の心が健康じゃないと、それは意味がないのです。
私は頑張る人を応援します、でも頑張れない人には寄り添って一緒に肩を組みたいです。
凡人として、一緒に楽しいことを探していきたいですから。
小さくたっていいでしょう?

凡人にだって幸せになる権利はあります。
何を幸せに感じるかは人それぞれですが、凡人の幸せは結構目の前にあるんですよ。
身の丈に合った生活の中にだって、楽しいことも幸せなこともあるんです。
お金が欲しいって気持ちとかも、誰かが自分にはできない贅沢なお金を使い方をしているのを知ってしまって、それに憧れてしまったからではないでしょうか?
私は凡人であるが故に、身の丈に合わない憧れを抱き、苦しんできました。
人はどんどん求めてしまいます、貪欲です。
既にある楽しさや幸福の種を芽吹かせようとせず、隣の家の大木を求めてしまうのです。
いいじゃないですか大きな庭がなくたって、小さな植木鉢くらいは部屋に置けますよ。
地道に毎日コツコツと、水をあげながら、優しく丁寧に育ててあげましょう。
きっと小さくても、花は咲きます。
それは大木のような派手さや、多くの人を惹き付ける美しさはないかもしれません。
小さい割には育てるのに苦労したり、枯れてしまうこともあるかもしれません。
でも咲かせることができたなら、それは可愛らしい花を咲かせるんです。
それはあなただけの大切な花です。
誰かに見せたくなるような、小さいけれど大切な花です。
それを素敵だと言ってくれる人がいたならば、花はもっと大きく咲きます。
その花は、あなたの人生を彩ってくれます。
大きな世界に目を向けていると、きっとこういう小さい花を見逃してしまいます。
どうか見逃さないでください、その花は力強く咲くのです。
日々の中で芽吹く小さな蕾に目を向けて、そっと水をあげてください。
まるで不毛の荒野みたいに厳しい世界だけれど、ちゃんと芽吹きます。
日々の中で意識していなかった幸せの種を、当たり前にそこにあったそれを、育ててみてくださいね。
”そんなこと”あふれた小さな世界で気ままに生きる

ありふれた人間の、他愛ないお話でした。
でも小さな世界、自分の周りに目を向けたら、思ったより悪くないなって思ったんです。
自宅と職場を行ったり来たりするだけの日々でも、楽しいや嬉しいと感じることはあるんだって。
それは職場の人との他愛ない会話だったり、なんとなくいつもよりも天気が良かったり、電車が空いてて座れたり。
このシマリスの写真、可愛くないですか?
これだけでも私は嬉しいと思えました。
”そんなこと”でって思いますか?
私はいまだに思います、でも確かにその嬉しいはあるんです。
”そんなこと”でも、誰かに伝えてみてください。
多くの人は興味を示してくれないかもしれませんけれど、きっと共感してくれる人はいます。
もしその共感に嬉しさを感じたならば、今度はあなたが共感する側になってみてください。
ささやかな幸せや喜びを共感しあう素敵な関係性が、また一つの幸せの種になるでしょう。
私のように自分を弱者と思うからこそ、たくさん集まってコミュニティにしてしまえば安心ですしね。
私がこうして書いた言葉に共感してもらえたら、私だって嬉しいのですから。
”そんなこと”が、意外にたくさんあるのですから。
それでは今回はこのあたりで。
あなたの大切な時間で読んでいただき、ありがとうございました。
Radiotalkで音声配信もしていますので、興味がある方はぜひこちらも聴いてみてくださいね。
番組 #真也のFeelingNight #Radiotalk https://radiotalk.jp/program/155656
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