【幸福とは】幸せって何?しあわせであるにはどうすればいいのか【その定義】

考え方

こんにちは、桐生真也です。

幸せって何なのでしょう、ふとそう思うのです。

ポルノグラフィティの歌じゃないですけど、本気で考えてみることって少ないような気がします。

なんとなく受動的というか、向こうからやってくるのを待つようにも思えます。

でも掴み取るものだっていう人もいますよね。

お金があれば幸せでしょうか、お金がなくても幸せでしょうか。

苦しいことがあると不幸ですか?

今回はそんな身近な”幸福”について考えてみようと思います。

拙い文章ですがご容赦ください。

気ままにお付き合いいただけたら幸いです。

どんな時に幸せだと感じるのだろう

哲学や思想に見える幸福

恵まれた状態にあって、満足に楽しく感ずること。心が満ち足りていること。

ソクラテスは「よく生きること」と説き、アリストテレスは「最高善」とし、キリスト教では「神の恵み」であるとして、パスカルは「絶えず幸福になろうとしている状態にあるかぎり、われわれはけっして幸福になることがない。」と遺している。

様々な学者や哲学者、宗教や神様でさえ幸せについて考えてきたようです。

しかしそれぞれ善いことであるとは言うものの、考え方はまるで違うようでした。

言葉としての定義はあれど、意味としての定義はないように感じます。

ソクラテスやアリストテレスの示すところで言うのであれば、”行動の末の幸福”と言っているように感じます。

積み重ねた善行、知りえたこと、実践してきたことの先に幸福があるという感じでしょうか。

掴み取るという強引な感じではありませんが、どちらかと言えば目指していく先にあるものという捉え方のようです。

キリスト教やパスカルは、”与えられたり受け取るものといったニュアンスに感じます。

幸福を求めることは行動の動機にはなるが、自ら手に入れるものではないといった感じでしょうか。

神からの贈り物であり、やがて訪れてくるものという捉え方のようですね。

どちらの意見も正しいことのように感じるのに、言葉で言えば対義語のように見えます。

人々に伝えるために強引に用意された定義のように感じてしまうのは、私だけなのでしょうか。

私のような凡人が哲学者相手に論ずる自体がおこがましいかもしれませんが、理解はできるが腑に落ちないといった感じです。

歌の中に見える幸福

福山雅治さんの「幸福論」という歌の中で、「そのつど自然と降りてくる、この感じをつかまえて、それで日々を繋いでいくんです」という部分がありました。

椎名林檎さんの「幸福論」という歌の中では、「本当のしあわせを探したときに、愛し愛されたいと思うようになりました」と歌っています。

どちらも恋愛に関する歌でした、誰か大切な人と過ごす時間には確かに幸せを感じます。

何でもなかったことが、一緒にいるだけで輝いて見えるようになる。

会いに行く道は、いつもと同じだけどちょっとだけ違う。

大切な相手にかかわることが、何事も幸せに変えてくれる。

日常の中に見つかる幸せを感じる、なんとなくふんわりしているけど、腑に落ちる感じですね。

写真の中に見える幸福

幸福と検索して出てくるのは、こういった笑顔の写真ばかりでした。

誰かの笑顔は幸せの象徴のように感じるのは、国や地域を超えた共通認識のようです。

実はAIによる画像生成もしてみました。

「幸せそうな画像を生成して」と依頼したところ、”笑顔”の可愛らしいキャラクターが生成されました。

笑顔とは、人工知能であっても幸せに関わる要素だと学習しているようです。

私も誰かが笑顔でいるのを見たら、幸せそうだなと感じます

笑顔だということは、楽しいと感じていることでもあるでしょう。

愛情を感じるといった写真も多く出てきました。

言葉ではなく感覚的なものを見るならば、幸福は感じるものということでしょう。

笑顔は人間だけでなく、自然の動物も浮かべる表情です。

楽しいや嬉しい、そう感じることは、幸福の共通の要素であると言えそうです。

幸せであるにはどうする?

幸せであることは、笑顔になれることなのだと私は思いました。

大好きな人と一緒にいることも、美味しいご飯を食べることができることも、暖かい布団で安心して眠ることができることも。

笑顔になれることなら、その一つ一つがあなたにとっての幸せなんだと。

やがて訪れる人生の最期の時に笑顔でいられたなら、それはきっと幸せな人生だったと胸を張って言えることでしょう。

そして自分の幸せは、他の誰かにも伝わっていくものだと思います。

誰かが楽しそうに話す言葉は、私の心も楽しくさせてくれる。

誰かの嬉しそうな笑顔は、私の心まで嬉しい気持ちにさせてくれる。

笑顔は優しく繋がっていく、そう感じます。

でも笑顔でいることは、楽なことではないです。

現実にあるたくさんの困難も、解決しなければならない問題もたくさんです。

お金がなければ大抵のものは手に入らず、働かなければお金だって手に入らず。

一生懸命に努力しても、得られるものは少しだけかもしれません。

嫌なことも苦しいこともいっぱいあるから、不幸に感じることもあるかもしれません。

多くの場合が、自分に足りないものを嘆くものです。

お金だとか、能力だとか、時間だとか。

でもそれは勝手に自分より優れた誰かと自分を比較して、不幸だと感じているだけなんです。

幸福は感じて見つけることができます。

よく晴れた青い空にも、一面の花畑にも、静かに揺れる水面にも、大自然の雄大さにも。

綺麗だとか、素敵だとか、そう感じられることは日常の中にもたくさんあるはずです。

普段何気なく見ているだけで見逃している幸せの欠片は、きっとまだまだたくさんあります。

私も探してみようと思います、私の感じる、私だけの幸せを。

感じることが幸福なのですから、その時々の幸福があります。

そして、誰かを幸せにしたいと願えることだって、幸せなことだと思います。

大切な誰か、愛する子供、仲良しな友人でも。

その想いは、誰かの笑顔を願う大切な気持ちですから。

大切な人の笑顔は、自分だって笑顔にしてくれますから。

こういうことを改めて考えることができたのも、幸せのためにできることかもしれませんね。

それでは今回はこのあたりで。

あなたの大切な時間で読んでいただき、ありがとうございました。

Radiotalkで音声配信もしていますので、興味がある方はぜひこちらも聴いてみてくださいね。

番組 #真也のFeelingNight #Radiotalk https://radiotalk.jp/program/155656

コメント

タイトルとURLをコピーしました