【後悔】これからも生きていく私たちだからこそ今を大切に生きる

考え方

こんにちは、桐生真也です。

突然ですけれど、皆さんは後悔をしたことはありますか?

私はたくさん後悔してきました、もちろん私にとって大きなものから小さなものまで。

やらなくて後悔したこと、失敗して後悔したこと、諦めて後悔したこと。

たくさんあると思いますし、それは人によって内容が様々です。

今回は私がしてきた後悔の中でも、時折思い出すような、そんな後悔をお話していこうと思います。

もしも皆さんの中で同じような後悔をしたことがある人、これからするかもしれない人も。

その不安や怖さを少しでも和らげる一助になれればと思います。

拙い文章ですがご容赦ください。

気ままにお付き合いいただけたら幸いです。

喧嘩をして、友を巻き込んだ日

私は高校生の頃、とても素行が悪かったのです。

殴り合いの喧嘩は当然、そもそも負けないように筋トレをするような誤った方向性の努力をしていたほどです。

喧嘩で勝つのが楽しいとさえ思っていました、そんなどうしようもないやつでした。

ですが高校の卒業を控えたある夜。

いつも通り売られた喧嘩を買っていたのですが、その時は隣に親友がいました。

自分勝手な喧嘩に、巻き込んでしまったのです。

実際に殴られたり蹴られたりしていましたし、見た目にはわからなかったですが痛んだはずです。

本人は大丈夫だと言ってくれていましたが、私は酷く後悔しました。

自分も当然傷だらけでしたが、それよりも親友が殴られたことの方がよっぽど痛い。

それ以来、こういった喧嘩はしなくなりました。

親友が殴られるという最悪の結果からきちんと学ばなければならない。

誰かを傷つけた事実は、ずっと残ります。

その傷が治ろうとも、どれほど謝罪しようとも、過去は消えません。

私自身、今も色々な過去に縛られて、苦しい気持ちになることがあります。

感情に任せてすることではなかった、そういったことがたくさんあります。

それでもたくさん失敗したと思うからこそ、そこから学んでいくことはできます。

失敗したと思わない人は、自分の正しさを疑いません。

それが自信になり、自らを妄信するようになり、他人を否定したりします。

いつか大きな失敗をするまで、続けてしまうんです。

私のように、今までたくさんの失敗をしてきたと感じている方。

自分の過去もきちんと見つめ直し、後悔している方。

苦しいかもしれません、今もその後悔を引きずっているかもしれません。

でも、失敗を後悔できるということは、学ぶこともできるということです。

その失敗を、後悔を、未来に活かすことができます。

もうこんな失敗はしない、そう思うことも十分に学びです。

後悔した原因を見つめ直せば、同じことを繰り返さなくなります。

人間だれしも無意識の内にこうして成長していくものですが、意識しているかどうかで結果には大きな違いが生まれます。

少しずつ日々色んなことを学んで、時には失敗からも学んで、あなたという人間を大きくしていく。

後悔しているということは、それを乗り越えたということ。

だってあなたは生きている、まだまだ未来はいくらでも広がっているんです。

これは、私の心にとても響いた言葉です。

ゆっくりでも、前に進んでいるなら大丈夫。

泥の中で蹲ることがあっても、立ち上がれたらいつか乾いて落ちていく。

今はその泥が重たいかもしれない、でも時間と共に、頑張った分だけ、その泥は早く乾き、落ちていくのです。

失敗から学び、次第に泥の沼地を避けることができるようになります。

誰だって最初はできないし、知らなければ学ぶことさえありません。

どうかその経験を後悔だけで終わらせないでください。

それがきっと、あなたの今を大切にする一つの方法ですから。

父親を喪った日

親の心子知らず

私が社会人になって間もない頃、父親を癌で喪いました。

まだ50歳、生きていれば今だって元気でいてくれたでしょう。

正直、私は父親が嫌いでした。

家に帰れば小言を言われ、時には言い合いの喧嘩もして、不機嫌だと家の空気が最悪になる。

一緒にいても楽しいことなんてない、鬱陶しいだけだと思っていました。

だけど癌を患い、病院で手術をしても治らず、未来は閉ざされたと聞かされた時、どうしようもない喪失感が心を満たしました。

癌であったと知らされたのは勤務中。

涙が込み上げてきて、職場にも関わらず泣いて、暫く動けず迷惑をかけてしまいました。

それからは毎日のように病院へ行き、話しました。

時々仕事での苦労を言ってしまって不機嫌にさせたりして、それからは楽しい話だけを選んで。

少しでも退屈が紛れるように、DVDを持ってきたり、できる限りのことをしました。

母親が毎日朝から一緒にいられるように、家の事も全部やりました。

50歳の誕生日は一時的にですが体調が安定してて、家に帰ることができました。

ですがその後病院に戻って、そのまま帰宅することは叶いませんでした。

人の命は、ある日突然喪われます。

病気や事故、他人からの理不尽な悪意などによって。

私はまだ良い方なのかもしれません、少なくとも喪うその瞬間まで側にいられて、話すことも、触れることもできたのですから。

ですが喪った人とは、もう話せません。

抱き合うことも、未来を想像することもできない。

当たり前にいてくれた誰かがいない、そんな日常になってしまう。

できたはずのことが、できなくなってしまう。

私の後悔は、父と酒を酌み交わすことができなかったことです。

酒が好きだった父は、家に帰ると毎日飲んでいました。

ですが私はそれを受け継がず、ほとんどアルコールは飲めません。

それもあって、一度も一緒に飲んだことがなかったのです。

自分が好きなことを大きくなった子供とできるって、どれほど待ち焦がれた瞬間なんだろうって。

苦手でも全くダメなわけでもないのだから、一度くらい飲んでも良かったのにと。

自分も子供を育てるようになってから、尚の事そう思うようになりました。

親になって、その大変さを知って、父親がどんな気持ちで私を見ていたのかが、今ではよくわかります。

自分が色々なことを知るにつれて、私がどれほどに親の気持ちを知らずにいたのかが浮き彫りになっていきます。

私が殴り合いをして帰ってきた朝も、父親は私の身を案じ、それ以上は何も言いませんでした。

口数が多くなく、真面目で人当たりもよく、でも家族にだけは不器用だった父親。

きっと誰よりも家族を大切に思っていたのでしょう、態度には出さなくとも。

私が贈った甚兵衛も、入院中に着やすいだろうと選んだのですが、終ぞ着ることはなかったようです。

病気は綺麗じゃないから、折角息子から贈ってもらった物を着たくない。

大切だから、綺麗なままで。

そんなこと一言だって私には言いませんでしたよ。

受け取った時、きっと本当に嬉しかったのでしょうね。

だからこそ着たくなかった、元気になって見せようと思ったのだろうって。

何度でも、何度でも贈るよ!

だから、遠慮せず着てくれよ親父。

そう伝えたくても、父親はもういないんです。

今の私ならできるだろう話も、もうできません。

だからどうか、目の前にいる人を大切にしてください。

一緒にいることができている今を、大切にしてください。

触れることができる距離なら、抱きしめてください。

命はそれほどに尊く、また生きていることは素敵なことです。

話すことができるのも、触れることができるのも、それはとても大切な時間です。

鬱陶しいと思うこともあるでしょう、邪魔に感じることもあるでしょう。

私にだってそういう時期はありましたし、事実会いたくもありませんでした。

実際に酷いことをしてきて、心から憎いと思う親もいるでしょう。

様々な事情の過程があり、いなくなってくれて喜ばれる人間もいるでしょう。

ただ、どうか憎いとは思っていないのなら、嫌いだなって思うだけなら。

少しだけでいいです、ちょっとだけでいいです。

この今がどれほどまでに奇跡のような時間か、考えてみてください。

家族や、友達や、恋人や、我が子が。

笑ってくれていること、苦しんでいること、幸せなこと、悩んでいること。

どれも生きているからこそできることです

生きていることを大切にしてください、素敵なことなんだと感じてみてください。

実感するのは難しいです、私も喪うまで気づきませんでした。

だからどうかこの文章を読んだあなたが、この先こんな後悔をしないくらい、今を大切にしてくれたらと願います。

“一貴”という名前

私の本名は”一貴”と書きます。

苗字も画数が多くて習字では書きづらいし、読み方も間違えられやすいし、子供の頃は正直不満でした。

長男だから、一番貴いって意味だと小学生の頃に聞かされていましたし、理由も単純で納得できる。

特にそれから意識することもなかった名前ですが、病床にいる父親が教えてくれたんです。

一貴って名前に込めた本当の意味を。

何故以前聞いた時に違った答えを教えてくれたのかはわかりません。

もしかしたら、後で聞いた意味が後付けなのかもしれません。

でも私にとっては、こちらが真実です。

とても、大切にしようと思いました。

そういう人間になろうと。

今、そうなれているかはわかりませんし、この先もわかりません。

ただ、色んなことを日々忘れていく中で、この名前の意味は決して忘れることはないでしょう。

父親が込めた想いを、その言葉を、生涯持ち続けていきたい、そう思っています。

自分の本名を書くことになっても、このことだけは書きたかった。

父親が確かに私を育ててくれて、遺してくれた想いを、ここに刻んでおきたかった。

誰も読んでいなくても、それでも遺しておきたい。

いつか私がいなくなってしまっても、これを読んだ誰かが覚えていてくれたらと願って。

今を大切に生きていこう

生きていくってとっても大変です、辛いことの方が多く感じるくらいに。

それでも、生きていることは素敵なことです。

生きているからこそできることがある、感じることができる。

幸せも、苦しみも、楽しいも、悲しいも。

できることなら楽しいことや幸せなことばかりであってほしい、そう願いことすら生きているからこそできます。

今この瞬間、とても大切な時間です。

今を大切にしてください、これからを生きていく自分を大切にしてください。

楽しいことがあったら、心ゆくまで楽しんでください。

苦しいことがあったら、誰かに話して、同じ時間を過ごしてください。

その時間はかけがえのないものです、同じ時間は二度と訪れません。

喪ってしまうこともあります、後悔することもたくさんあります。

だけど、過去に囚われすぎないでください。

過去は確かに今の自分を作っている大事な出来事ですが、これから先を生きる枷になってはいけないのです。

今を生きようとするあなたはとっても素敵で、いつかそれを笑顔で誰かに伝える瞬間がきっと訪れます。

あなたのこれからの日々に、たくさんの笑顔がありますように。

それでは今回はこのあたりで。

あなたの大切な時間で読んでいただき、ありがとうございました。

Radiotalkで音声配信もしていますので、興味がある方はぜひこちらも聴いてみてくださいね。

番組 #真也のFeelingNight #Radiotalk https://radiotalk.jp/program/155656

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