【正しくは印鑑ではない】日本だけで妙に浸透しているらしい印章文化

気になる!

こんにちは、桐生真也です。

警備員をしていると、書類で押印する機会が多いのです。

人の出入りに関する書類や、鍵の貸出に関する書類など。

誰がいつ手続きをしたのか、その証拠としても大切なので仕方ないことなのですが、インクの減りが早いのなんの。

家では荷物の受け取りくらいでしか押さないですし、最近では押印も不要ということが増えてきましたよね。

タッチペンでサインすることも増えましたし、もっと押印する機会が減ればいいのですが、書類仕事で減ることはまだまだ先になりそうですね。

どうしてこんなに押印する文化なのでしょう、海外ドラマとかでは見たことがないのですが。

気になる!

どうして日本は妙に押印することが多いのか。

海外では押印はされないのか。

普段から使いまくっているものだったので、ふと気になってしまいました。

浅い知識と拙い文章ですがご容赦ください。

気ままにお付き合いいただけたら幸いです。

日本における印章とは

印鑑という言葉の使い方が間違っている

我々が日常的に印鑑と呼んでいるは、正しくは”印章”であり、インクを付けて押されたものを”印影”と呼びます。

”印鑑”とは印章とその所有者を登録した記録のことを指し、市区町村に実印などを届出する”印鑑証明”がそれにあたる。

はい、私も思いっきり間違えて使っていましたし、印章という言葉を使ったこともありませんでした。

ちなみに”ハンコ”と呼ぶのは正解だそうです。

「ハンコ押してください」は日本語的に合っていますが、「印鑑押してください」は間違いということですね。

子供の頃はハンコって言っていた気がするのに、大人になって仕事をするようになってからは印鑑って言っていました。

一般的にも意味は通じるので別にいいのでしょうけれど、知ったからにはきちんとした日本語を使いたいとは思います。

しかしもう印鑑って呼ぶのが当たり前になっているので、かなり意識していかないと難しそうですが。

むしろ突然「印章押してください」とか言い出したら伝わらないような気もします。

何故日本では印章が文化として定着しているのか

理由として、法的に押印が効力を持っていることが挙げられる。(実印・官職印・公職印)

1873年(明治6年)に印鑑登録制度が制定され、それまでは天皇や武士など位の高い者しか持つことが許されなかったものが、市井にも広がっていきました。

また、公的機関が押印を必要とする書類を使い続けている関係で、会社での手続きでも押印を全くしないということがなく、日本では未だに紙の書類による手続きも大部分を占めることから、サインよりも早い印章が使われ続けている。

考えてみれば思い当たることが多すぎますね。

今でこそ電子証明とか、申請や届け出をインターネット上だけで完結できるなんてサービスも増えましたけど、相変わらず紙の使用率は高いままですもんね。

実印とかはともかくとして、認印なんて誰が押しても同じなのですから偽装押印なんて簡単ですし、何の証拠としても弱いと思いますが、それでも使われ続けてますし。

そもそも100円程度で何処でも売られている認印に本人であると示す何の根拠もないでしょうに、せめて拇印なら世界に一つしかないので意味もあるでしょうけど。

日本人として印章を押すという行為自体に信用を置いている文化が根強いですし、多少手間でも成り立ってしまっているから中々抜け出せないのでしょう。

そうしなければならない理由があったとしても、そうでなくても成り立っているなら誰も本気にはならないですからね。

国としても「脱ハンコ」を令和に入ってから進めているそうですが、ペーパーレス化するために電子システムを導入するコストが高く中小企業などでは受け入れられなかったり、結局重要な登記書類などは押印が必須となっているなど課題は多そうです。

私の職場でも印章を必要とする書類だらけです、使わない方が珍しいくらいです。

一時期は不要として押印をなくした書類もありましたが、結果誰が対応したかを残すために復活してしまったものさえあるくらいですよ。

コロナ禍でテレワーク・在宅勤務が世の中でも広がっていましたが、結局書類への押印が必要だから出社したということもかなり多かったようです。

この印章を多用する文化が、こういった働き方を変えていく上で障害になっているのは事実のようですね。

とはいえ単純に手書きのサインよりは手軽でコンパクトにまとまりますし、正直字が汚くて読めないよりは明確に読めるので便利だと感じる部分もあります。

我々警備員のように手続きの回数が非常に多く、都度サインをしていては大雑把になっていって読みづらいですし、非常に手間です。

繰り返しサインを必要とする場面では非常に重宝しますね。

手軽に押せる認印のキャップ紛失問題も、そもそもキャップレスにすることで解決していますし、独自に進化している日本の印章。

進化して便利になっていくにつれて、印章離れは減速しそうな気がしますが。

日本から押印を必要とする文化がなくそうと思ったら、相当に長い年月と努力が必要となりそうですね。

海外では印章は使われているのか

印章という文化を日本に伝えた中国でさえ、既にそういった文化は廃れているらしいです。

欧米でもサインが一般的ですし、印章を利用するのはごく一部に限られるようですね。

ヨーロッパなどもかつては王族や貴族が家紋を封蝋に押すといった文化はありましたが、契約などではサインが主流です。

世界的に見ても印章を何にでも利用している国は非常に少なく、日本と台湾くらいしか残っていないそうですね。

国家間の公的文書や企業の書類などでは公印や社印が今でも使われていますが、日本のように個人の印章を持ち歩くことはないそうです。

アメリカでの本人証明は公証人(ノータリー・リパブリック)という役職があり、第三者として本人であると証明するスタンプを押してくれるようです。

銀行や役所などに常駐しているらしく、公的文書のサインなどは自ら出向いて立ち会ってもらう必要があるみたいですね。

学校の遠足の許可書などまで立ち会いの必要があるようですから、押印一つで済む日本よりもこういった部分では手間でしょうか。

とはいえ人生の中でそれほど多く機会がないことが多少手間であっても大したことではないと思いますが。

日本での公的書類なんかはフルネームのサインと押印がセットですからね、手間で仕方ないです。

年末調整の書類なんて何枚もサインと押印をしなければいけませんし、銀行などで登録した印章を使っているのにシステムに弾かれたりもしますし、地味にストレスですよ。

ノータリー・リパブリックに頼るように、それほど頻度がないのが救いですが。

サインだけで公証人を挟むか、印鑑登録のおかげで個人でも押印だけで済ませることができるか、なんとも難しい天秤な気がします。

こういう明らかに天秤が傾くとは言えないところも、印章文化が廃れない理由な気がしますね。

感想

日本ならではの印章文化、調べるほどにきっとなくならない文化なのだろうと感じました。

あまりに日常の中に根付きすぎているというのがありますし、別段だからといって困っているわけでもありませんしね。

それに神社でいただける”御朱印”も、日本だからこそ流行したのではないかと思うのです。

様々なお洒落で可愛らしいデザインの御朱印帳に、旅先で訪れた神社の印を集めていく。

日本人らしい気がします、雅な感じもしますよね。

印章という文化があったからこそ、御朱印も少し身近なものに感じられるのではないかと。

実際御朱印帳に並ぶ御朱印を見たことがありますが、集めてみたくなる気持ちもわかります。

本来は写経したものを神社に納めることでいただけるものらしいですが、参拝者が増えているので神様だって嫌な気はしないでしょう。

日本ならではの文化となった印影を集める旅、皆さんも始めてみては如何でしょうか。

それでは今回はこのあたりで。

あなたの大切な時間で読んでいただき、ありがとうございました。

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