こんにちは、桐生真也です。
海外製の映画やゲームなど、主要なセリフはきちんと翻訳されて字幕が出ますよね。
そうでないと話の流れが解らないので当然なのですが、翻訳されていないセリフもあります。
周りにいる人達の日常会話、そういったものは話に直接関係ないので翻訳されません。
ただ間違いなく何か会話をしているのですが、何を話しているのかはわかりませんよね。
私は日本語しか解りませんし、学校で勉強しても語学は特に酷いありさまだったのでほとんど諦めてしまっていますが、それでも外国の人の言葉が解ったら楽しいだろうなとは思います。
最近ずっと遊んでいるGTAVでの一般人の会話を英語がわかる人に聞いてもらったところ、かなり口が悪いことが判明しました。
そもそもどうしてこんなに言葉の種類が多いのでしょう。
気になる!
御伽噺か何かで「かつて言葉はひとつだった」みたいなこと聞いたことありましたが、あれは何だったのでしょう。
言語の壁がなくなれば、もっと多くのことができるのに。
浅い知識と拙い文章ですがご容赦ください。
気ままにお付き合いいただけたら幸いです。
バベルの塔と共通言語

旧約聖書の11章に登場するお話です。
ノアの箱舟によって生き延びた人々の時代、言語はひとつしかなかった。人々は協力し発展し、やがて神にも届かせようと巨大な塔を作り始めた。それを不敬と怒った神は、言葉が同じだから協力することができるのだろう、ならば言葉を通じなくして乱してやろうとし、人々は言葉が通じなくなりました。
その壊れた塔のある街は、バベルと名づけられました。
このお話が真実かどうかは確かめる術がありませんが、共通の言語というのはとっても魅力的ですね。
お話の中にもある通り、言語が共通していれば意思疎通が容易になり、話の通りに技術などが大いに発展していくでしょう。
今でこそ世界共通言語として英語が挙げられていますが、それでも話せるのは世界の四分の一だそうですから。
もちろん私も英語は話せません、学生時代も一番苦手な科目だったくらいです。
もしも実際に世界共通言語が存在していたとしたら、本当に便利でしょうね。
世界中どこへ行っても言葉が通じるなんて夢のようじゃありませんか、どんな人とも話せるなんて素敵です。
字幕もなく他の国のコンテンツが自分で読めるし見れる、実にいいことです。
異世界転生系の物語でもよく登場する翻訳スキルとか、私としてはいつも羨ましいと思っていますからね。
翻訳家や他言語の教師をしている人は仕事がなくなってしまいますが。
一応世界共通言語を作って広めようとする活動はあったようです。
1887年、ユダヤ系ポーランド人のラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ眼科医が創案した人工言語としてエスペラント語というものがあるそうです。
このエスペラント語を母国語とするというわけではなく、世界共通の第二言語として広まってほしいという願いがあったようですね。
アルファベットを使用し、誰でも簡単に覚えられるように制作されたようですが、残念ながら現時点でも共通言語としてはほとんど認知されていません。
全世界でもこの言語を使えるのは100万人程度と言われており、ブルガリアなどの一部地域で学校の授業に取り入れられてはいますが、普及しているとは言い難い状況です。
これでも共通言語としての広まりとしてはかなりの成功例らしいのですが、現状英語を超える共通言語はなく、旧約聖書のような共通言語の達成にはまだまだ長い年月がかかりそうです。
言語はどうしてこれほど多く存在するのか

現在、かなり細かい分類まで含めると、世界には8000以上の言語があるとのことです。
そもそもどうして世界中にはこれほど多くの言語が存在するのでしょうか。
その理由として、”その地域ごとに大切にしているものが異なるから”というのがあるそうです。
フィンランドのように雪が多い地域では、雪やその状態を表す言葉が多くあったり、日本のようにお米が生活に根ざしていると、お米にまつわる言葉が多いですね。
イタリアではパンやピザなどで多くの粉を使うことから、そういった言葉が多いようです。
他の理由としては、”住んでいる環境によっても異なる”ということみたいです。
例えば秋田県の津軽弁などは、雪の多い地域のためできるだけ口を開かずに話せるようにした結果、他の地域では聞き取り辛い話し方になったとも言われています。
開けた地域などでは遠くまで聞こえるように強めの発音が多いなどもあるかもしれませんね。
こうした地域ごとの変化が他の地域と交流がないままでいると、それぞれ独立した言語になって確立されていったようです。
方言などがいい例なのでしょうか、地域ごとに同じ物を別々の呼び方をしたりしますよね。
例えば”天ぷら”。
私は関東の出身なのですが、天ぷらと言えばあの黄金色の衣を纏ったエビなどの天ぷらを想像します。
ですが、母は九州の出身なので、天ぷらというと薩摩揚げなどの練り物のことらしいです。
じゃあ普通の天ぷらはどういうのかと聞いたら、天ぷらだそうです、ややこしい。
確かに九州では魚が多く取れますし、竹輪などの生産もされていますから、焼いたり上げたりするという意味で天ぷらと呼ぶようになったのかもしれません。
上記のような理由で様々な言語が地域ごとに生まれ、それぞれに発展してきた結果、数多くの言語が話されるようになったということですね。
失われていく言語

先ほどご紹介した津軽弁もそうですが、数多くある言語も徐々に減っていっているそうです。
津軽弁はもちろんまだ存在していますが、昔ほど訛りの強い津軽弁を聞き取れる若い人は減ってきているようですね。
このように徐々に言語が継承されることなく薄れていき、やがては記録だけが残るような言葉も多いようです。
有名な言語だとラテン語などは既に口語としては失われており、文章として残るのみとなっているようです。
また、様々な言語同士が統合していった結果失われてしまったり、戦争などで負けてしまった結果、戦勝国の言葉の使用を強要され、母国語が失われるといったことも起きるようですね。
日本語もかつて第二次世界大戦で敗戦した際、アメリカのGHQによって漢字の使用を制限されそうになったそうです。
ですが日本人の識字率があまりに高く、制限は現実的に難しいとして失敗したようですが。
孤立している部族でのみ話されるような言語も、その部族が失われてしまえば同様に消失してしまいます。
消滅してしまった言語のことを、”死語”と呼ぶそうです。
日本だとあまり使われなくなった言葉のことを死語と呼ぶこともありますが、当たらずも遠からずといったところでしょうか。
先進国内での言語消滅が顕著だそうで、これまで他と関わらなかった部族などが生活の為に街に出るために公用語を学び、結果として固有の言語が失われていくという状況みたいですね。
長い年月をかけて使用者の少ない言語は失われていき、やがては英語などの言葉に統合されていくのでしょうか。
言語とは部族が生きていた証

言語とは、その言葉を話す人達にとって、非常に重要なものです。
その言語と共に人々は生きてきて、その言葉だからこそ表現できることがあり、多くの場合は生まれてから死ぬまで話す言葉。
無意識の内に愛着を抱き、大切に感じているものです。
だからこそ、旧約聖書の中で一度バラバラになった言語は、再び一つになることはないだろうと私は思います。
私は英語をはじめとした外国語が話せたらいいなとは思いますが、日本語が無くなるのはやはり嫌だと感じます。
日本語らしい、情景などを非常に細かく表現する言葉の数々。
日本語以外の言葉にも、それぞれ現地の人の愛着があるはずです。
第二言語としての共通言語はあってもいいかと思いますが、それもまだまだ遠い未来の話になりそうですね。
少なくとも私が存命している間には変わらないのではないでしょうか、それほどに言語とは地域に生きる人々に根ざした文化そのものですから。
かつて世界が共通言語のみで会話していたのであれば、他の言語を知らないからこそ成立していたのでしょう。
しかし我々は、我々の言葉を持っている、既に知ってしまっている。
言語とは、そこに部族が生きていた証です。
自分たちが生きる文化そのものである言語を手放すということは、世界が変わるようなものです。
仮に、いつの日か英語しか話さない日本になったとしたら、現代に生きる我々はそれを日本と思えるでしょうか。
きっと私は日本だと思えません、それほどに日本語とは私にとって日本人である証なのですから。
今回調べてみて、日本語も大切に継承していかなければならないのだと感じる切っ掛けになりました。
世界中に散らばる様々な言語が、どうか少しでも多く残ることを願います。
それでは今回はこのあたりで。
あなたの大切な時間で読んでいただき、ありがとうございました。
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