こんにちは、桐生真也です。
5月に入りまして、GWを満喫している方も多いかと思います。
私の仕事は祝日など全く関係ありませんので、カメラ越しに見る映像がいつもよりも人が多いなって程度ですが。
さて5月の第二日曜日、2025年5月11日(日)。
母の日ですね、贈り物は考えているでしょうか。
新入社員の方は初任給も出ますし、ちょっと奮発してみてもいいかもしれませんね。
そういう私は結構毎年のように失念していまして、去年は贈ったかどうかも覚えていないくらいです。
決して母に感謝していないとかではなく、いつも直前になって忘れてしまっているといいますか…。
いけないなこんなことではと毎年のように思いながら成長しない、申し訳ないです母上。
さてそんな母の日、いつ頃から祝うようになって、由来はどこにあるのでしょうか。
気になる!
何がきっかけで母の日となったのか、母の日にまつわる気になるを調べてみたいと思います。
浅い知識と拙い文章ですがご容赦ください。
気ままにお付き合いいただけたら幸いです。
母の日はアメリカで制定された祝日が始まり

現在の母の日の由来となっているのは、1907年5月12日にアメリカのアンナ・ジャービスによって催されたイベントである。
アンナの母であるアン・リーブス・ジャービスという女性は、南北戦争時に衛生状態を改善するために地域の女性と協力し、敵味方関係なく活動した平和活動家であったが、1905年に亡くなっています。
その2年後である1907年5月12日。
娘のアンナは母親が日曜学校の教師をしていた教会で、母の大好きだった白いカーネーションを訪れた人々に配りました。
その行動に感動した人々は翌年の1908年5月10日にも同じように集まり、同じく白いカーネーションを参加者に配る「母の日」を催した。
このイベントを切っ掛けとしてカーネーションは母の日のシンボルとなり、徐々にアメリカ中に広まっていき、1914年には祝日として制定されました。
母親に対する娘の愛情が起こしたイベントが、今日の母の日として継承されていっているのですね。
今では世界中にこの母の日は広がっていて、祝う日付は違うものの、各国で母親に感謝をする日として祝われているようですよ。
勝手に日本特有のイベントだと思っていました。
ちなみにカーネーションは、白色のものは故人に、赤い色は存命の方に贈る違いがあるそうです。
現在では赤に統一されていますが、お墓参りにお供えする花束に5月だけは白いカーネーションを足すというのもいいかもしれませんね。
ちなみに6月の第3日曜日にある父の日はこの母の日をきっかけに作られたようで、やはりアメリカが由来となっています。
1909年にソノラ・スマート・ドッドという女性が、男手一つで6人もの子供を育ててくれた父親に感謝したいという申告が元となり、1972年にアメリカで祝日となりました。
贈物も存命の人には赤いバラ、故人には白いバラであるところも、母の日を元にして作られたものであるとわかります。
母親に感謝するのは素敵なことですが、どうか父親の方にも目を向けてくださいませ。
世界での母の日

世界中で祝われている母の日、80ヵ国以上の国々で毎年お祝いされています。
日付は多くの国が5月なのですが、早いところであればノルウェーは2月の第2日曜日に、遅いところは12月22日にインドネシアがあります。
両親の日としてお祝いする国もあり、韓国では5月8日を両親の日としており、コンゴ民主共和国では8月1日を両親の日として祝日に定めているそうです。
ちなみに日本にも両親の日があるそうで、日付は9月30日。
由来は日付を数字にして逆さまにすると”039”、「お父さん、お母さん(0)、サンキュー(39)」だそうです。
……個人的な感想は控えておきます、でも……ちょっとアレかなぁと思います。
贈物はカーネーションの国が多いですが、こちらも国によっては違うところもありました。
例えばイタリアではカーネーションではなくアザレアの花、タイではジャスミンの花、オーストラリアでは菊の花が贈られるのが主流らしいですよ。
日本ではカーネーションですが、個人的にはこだわることはないかと思います。
大切な母親に感謝の思いを伝えることが母の日なのですから、プレゼントに縛られたりせず、心からの感謝を伝えることが何よりの贈物。
風習通りでなくても好きな花でもいいですし、感謝の手紙でもいいですし、欲しがっていたものでもいいでしょう。
贈物は用意できなくても、当日に電話で感謝を伝えたら嬉しいと思いますよ。
私は父親ではありますが、将来自分の子供がそういうことをしてくれたら確実に嬉しいですし。
感謝って普段は言葉にすることも少ないかもしれないですし、離れて暮らしているのであれば尚更です。
一年に一度の機会ですし、普段は伝えることのない言葉を言う後押しだと思いましょう。
感想

アンナ・ジャービスが起こした「母の日」。
今日まで世界中で祝われるほど、誰もが知る日となりました。
しかし、この話には続きがあります。
アンナが思う母の日とは、「母の日は家に帰って一緒に過ごし、母親に今までの事を感謝する日」という意味がある日でした。
しかし祝日となり、アメリカ中に広まっていくにつれて商業利用されるようになり、ただ母親に贈り物をするだけのようになってしまったことにアンナは抗議し、残りの生涯はその抗議活動に当てられることとなりました。
母親から受け継いだ資産などを全て注ぎ込んで抗議活動を行い、その道半ばで逮捕されてしまい、最後には認知症を患った状態で84歳でこの世を去ったようです。
この悲しい結末まで書いたのは、この最初のアンナの想いまで知ってほしいと私が感じたからです。
もちろんこの話を知っていようといまいと、心から母親に感謝する日として贈り物をする人が大半だとは思います。
しかしアンナとしては純粋なその想いを利用されたと思ったことでしょう、金儲けのために大切な日を、大切な想いを利用されたと。
こういった記念日やお祝いが商業的に利用されることは必然であるとは言えますし、母の日だけではないでしょう。
ですがこの結末を知った人たちが、少しでもアンナの想いも継承してくれたらなと思います。
今年は私も実家に顔を出したいですね、当日には難しいかもしれませんが。
それでは今回はこのあたりで。
あなたの大切な時間で読んでいただき、ありがとうございました。
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