最近になってふと感じたこと

考え方

こんにちは、桐生真也です。

6月に入りまして、湿気が多い季節になってしまうなとちょっとだけ憂欝です。

私は結構癖毛なもので、湿気が多いとうねうねしてしまうのですよ。

ドライヤーでの頑張りもあっさりと無駄になってしまうので、雨の多い時期はその辺りがちょっとだけ面倒ですね。

家の近くに紫陽花がたくさん植えられているので、それらが咲き誇るのは綺麗だなと思うのですが。

さて今回は特別にテーマらしいこともなく、最近思ったことや感じたことを書いていきたいと思います。

拙い文章ですがご容赦ください。

気ままにお付き合いいただけたら幸いです。

そんなに信じて大丈夫?

YouTubeって最早誰しもがしっていて、多くの人が面白い動画だったり、ためになる動画だったりを投稿していて、物凄い情報のるつぼと化しているなと思います。

私自身もYouTubeは日常的に観ますし、お気に入りのチャンネルもたくさんあります。

実際に様々な経験をしてきた人や、特定の分野の専門家のお話などもあって、かなり専門的な内容まで知ることができますよね。

ですが同時に思います。

YouTubeで観たから理解した気になっている人も増えているのだろうなということ。

それって凄く怖いことではないかと思うのです。

先日職場でよく話す運送業の人とのやり取りでこんなことがありました。

最近足を痛めていたのだが、YouTubeで調べたらこの症状に似ていたから実際に同じようなストレッチをしたら良くなってきたよということだったのです。

良くなったのは悪いことではないです、問題は医者には診てもらっていないこと。

YouTubeで似ている症状であったというだけでその症状だと判断し、映像の通りに試してみたら上手くいった。

YouTubeは医者ではありません、今回は偶然効果があっただけではないのかと。

動画を見ることで、まるで自分の症状を診断してもらったと思い込んでしまうことが怖いと思ったのです。

投稿される映像作品は個人に宛てたものではありませんから、その人の症状が何かを判断しているのはその人自身ということですし、普段から患っている症状ならともかく、初めての症状でそれでは不安ではないのでしょうか。

しかも良くなってしまったものだから、医者に行かないままそれで正解だったと思い込んで、動画を信じて継続するでしょう。

筋トレのやり方とか、料理の作り方とか、そういった知識を増やす意味での動画視聴は解りやすいですしとっても有用だとは思います。

ですが病気などの不調を治すのに動画に頼るのは怖いです、何かを間違えても動画を見てやったら自己責任になってしまいますし。

中々病院に行く時間も取れないことはありますが、体の不調などはきちんと病院へ行って医者を頼るべきなのではないかなと。

もちろん動画を投稿している人が悪いということでは全くありません、実際に資格を持っている人が投稿していることの方が多いでしょうしね。

実際多くの動画には楽しませてもらっていますし、大切なのはどんな情報をどんな風に活用するかということですから。

名言ではないけれど納得できる言葉だった

最近読んでいた漫画の中で、とある宗教の話が出てきました。

内容と言ってもこれといって深くかかわることもないですし、宗教自体も特別なものではないものでしたが、その宗教の基本的な教えが妙に心に残ったんです。

誰かにしてほしいと願うことがあるのなら、それをあなたも誰かにしてあげなさい。

とても当たり前のことのように思えて、その実はあまり実行できていないなと感じる大切なことであるように感じます。

家庭や、学校や職場などでも、誰かに何かを要求することは多いけれど、それを同じく自分は相手にしてあげられているだろうか。

求めるばかりで、やってもらって当然と思うばかりで、自分からは行動していないのではないかと。

日常的なところだと、挨拶ってそういうものではないかと思うのです。

自分から挨拶をしない人に挨拶をしてくれるはずもないですし、挨拶を返してくれないとわかっている人に挨拶し続けるのは精神的にもしんどいです。

他のことだってそうですよね、一方通行な行動や感情だけでは成立しないのが関係性というものだと思います。

お互いに完全な平等とは当然いかないまでも、互いに尊重し合う気持ちで、お互いに気遣ったり支え合ったりすることで、ようやく穏やかな関係性を築くことができる。

この漫画の宗教の教えは、そういったことを言いたいのではないかと感じました。

もちろん漫画ではそこまで深掘りしていませんし、それ以降漫画に登場すらしなかったので作者の意図は判りませんが。

ただ妙に心に残る教えだと感じたんです、思わずメモに残してしまうくらいには。

多くの人が、与えるばかりで、求められるばかりで嫌な思いをした経験があるのではないかと思います。

ですが、実際は誰しもがそうではないでしょうか。

立場や状況、役割などで同じことをお互いにできないことも多くありますが、相手に求めることを自分からもしてあげるということは、すなわち相手のことを考えて尊重することだと思います。

まずは自分がやってもらって当たり前という考えを改めなければ、お互いにそういった感情をぶつけ合うばかりで不満しか溜まりません。

まずは自らが歩み寄り、支えることをしましょう。

近しい人ほどそういう当たり前だと考えてしまうことが多いかと思いますが、近しいからこそ尊重することも忘れてはいけないのだと考えさせられる言葉でした。

人生でどれほどこういう時間があるのだろう

やらなければいけないことがあるのに、動かなくちゃって思うけどついつい休んでしまう。

スマートフォンを触り始めてしまって、気が付いたら1時間くらい経っていたとか。

ドラマを見始めてしまって、心の中ではやること済ませないとなと思いながらも、途中で停止したくなくて結局見続けてしまう。

積みあがった使用済みの食器や、畳まれていない洗濯物、溢れそうなゴミ箱、埃が見えてしまう床。

お風呂に入っていないけれど、このまま寝てしまいたいな、でも汚いままだしな。

見るだけで、考えるだけで面倒くさいなと思ってしまうこと、動けないままの時間ってたくさんありますよね。

多分こういう時間って、人生の中でかなり大きなウエイトを占めてるんだろうなって思います。

でもその面倒だと思うことって、やり始めるとあっさり終わるんですよね。

やりたくないと考えて無駄にしている時間の半分以下の時間で終わることが多い気がします。

私はあまり迷わずにやり始めてしまうことが多いです、どうせゆっくりするなら途中で中断されるよりも、それこそ後は寝るだけって状態にしてからの方が気兼ねなく休めるので。

せっかく楽しいことをしているのに、余計なことを考えながらなんてもったいないですから。

疲れていて動きたくなかったり、満腹になって動きたくなかったりすることはとても共感できます。

でもちょっとだけ、もう少しだけ頑張ってみてください。

楽しみにしているお出かけの前日は万全に準備するのと同じことです、楽しいことは後顧の憂い無く楽しむべきですから。

それでは今回はこのあたりで。

あなたの大切な時間で読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました