【心が苦しくなる】追い詰められて動けない時にどうするか

考え方

こんにちは、桐生真也です。

人生において、追い詰められてしまうことはあるかと思います。

苦しいこと、悲しいこと、大きな失敗、現実の問題など。

様々な事情があるとは思いますが、そういう時にどうすべきか、少し考えてみました。

これを読んでいる皆さんの為に、少しでも役立てたら幸いです。

拙い文章ですがご容赦ください。

気ままにお付き合いいただけたら幸いです。

まずは落ち着くことから

まずは落ち着いて、これは何をするにも重要です。

こんな状況で落ち着けるか!と騒ぐシーンをドラマなどで見かけることがありますが、確かにすぐには落ち着けませんよね。

ですが追い詰められている時は当然ですが冷静とはかけ離れています。

視野狭窄となってしまい、目の前の狭い範囲での安易な解決策を模索してしまったり、身投げするような自暴自棄な行動を選んでしまいがちです。

追い詰められているということは、起きてしまった過去や、これから起こるであろう未来に恐怖している状態ですから、人間として恐怖から逃れたいという心理が働き、素早く実行できる方法を選んでしまうのです。

結果としてより状況が悪化してしまう、普段なら取らないような無茶な行動をしてしまうことに。

だからこそ、まずは落ち着いてほしいのです。

飲み物を飲んだり、深呼吸したり、大きい声を出すのも効果的です。

心に生まれた恐怖を、外へと吐き出しましょう。

平常心を取り戻せるまでは、何かを始めてはいけません。

仮に今すぐに動かなければいけなくても、急いては事を仕損じるとも言いますから。

周りから何かを言われても、落ち着くまでは待ってもらいましょう。

急かされて言われたことを実行しようとしても、その言葉がさせようとしていることもちゃんと理解できてないまま行動してしまうので、やはりしっかり考えられるようになるまでは待つべきです。

自分がどういった行動をしている時に気持ちが落ち着いているのか、日頃から自己分析しておくと効果的ですよ。

過ぎた事実は変えられない

現実的な話として、過去は変えることができません。

どれほどに後悔しても、誰かにどうすべきだったと言われても、それは過去を変えることには繋がらないのです。

選んでしまったことも、選ばなかったことも、現実としてある以上は受け入れるしかありません。

落ち着いて、冷静に開き直りましょう。

やっちまったことは仕方がないと、過ぎたことを悔やんでも前へは進めないと。

現状を正しく理解して前を向く、これがやっと解決へのスタートラインです。

冷静に現状で可能なゴール地点を見定めて、それに向かって行動を開始しなければなりません。

よく失敗を挽回するとか言いますがそうではなくて、改めて軌道修正していきましょう。

過去は過去です、現状からスタートする気持ちで取り組みましょう。

どうしても良かった頃を想像してしまったり、選ばなかった未来を想像してしまいますが、その比較こそ意味はありません。

そういった想像をするのは、現状を打開してからでも遅くはないでしょう。

気持ちを切り替えていく、そのために冷静さを取り戻し、未来を描く思考を取り戻したのですから。

過ぎてしまった過去は、なかったことにはなりませんが、もうないものなのです。

過去の栄光に縋るのも、過去の幻影に苦しむのも、もう終わりにしましょう。

未来は自分で選ぶ

過去は教訓に変えて、未来をどうしたいか考えるのです。

今を懸命に考え、選んだ先にこそ、あなたの望んだ可能性があるのです。

落ち着いてみて、未来に顔を向けてみると、色々な可能性があることに気づきます。

追い詰められた状態で選ぼうとした選択肢が、あまりに安易であったことにも気づくと思います。

選択肢が一つしかないなんてことはありません。

思いつかなかったり、やろうとも思えないだけで、選択肢は確かにあるんです。

悩んでいるその瞬間だって極端な話かもしれませんが、「悩む」と「行動する」の選択肢の内の「悩む」を選択しています、選択している意識がないだけです。

人生は何かを常に選んでいて、何かを選ばないことの繰り返しですから。

いっぱい悩んでもいいと思います、直観に従ってもいいと思います、誰かの助言に従うのもいいでしょう。

悩める時こそ見えている選択肢が多いことの証左であり、直観に従えることは強い意識があるということであり、助言をしてもらえるということは仲間がいるということ。

何よりも大切なのは、その選択があなたにとって納得ができることかどうかです。

納得のいく結果になるかどうかはそもそもわかりませんし、それ自体は重要ではありません。

仕事であればこなさなければならないこともあるでしょうし、その問題を解決できなければ未来は暗いままだからどうにかしなければと思うでしょう。

ですがどれほどに悩もうとも、未来は不確定です。

私が考えてほしいと願うのは、あなたが信じて実行に移せる後悔のない選択です。

あなたにとって失いたくないものを守るとか、それ以外を捨ててでも手に入れたいものだとか、今よりも少しでも明るい未来だとか。

追い詰められて”選ばされた”と思うことは必ず後悔します。

追い詰められているということは、あなたにとって無視できないほどに大きな分岐点にいるということ。

その分岐点の先が見えないからこそ怖さを感じているということ。

怪物が待っているのか、それとも暖かい光に満ちているのか。

そんな勇気ある冒険の一歩を踏み出そうという時に必要なのは、与えられた選択ではなく、自分で選んだという気持ちです。

その気持ちは時にあなたを勇気づけてくれますし、自分で選んだことは迷いづらいです。

時には自分の選択が間違っていたんじゃないかって思うこともあるでしょうし、実際に良くない方向に状況が移っていくこともあるでしょう。

ですが不安な中で自分で選んだという経験は、例え良くない方向に変わってしまったとしても、強く自分の意思があるということを意識できるはずです。

未来は自分の意識で選ぶことはできます。

未来はあなたの選択と行動の先にある。

だからこそその選択を安易に決めてほしくはないし、流されてしまうのも、選ばされてしまうのも、できることなら避けてほしい。

自分はどうなりたいのか、自分はどんな未来を望むのか、追い詰められてしまった時こそ考えてみてほしいのです。

何をもって追い詰められていると感じるかは人それぞれなのですから、誰かと比べることもしないでください。

あなたの選択なのですから、誰かの価値観も関係ありません。

あなた自身のために、あなた自身の意思で、あなたの未来を選び取ってください。

おわりに

現実的に考えて、追い詰められている時に私の言葉は綺麗事のように思えるでしょう。

そんな風に考えられるなら追い詰められていない、そんなに甘くないんだって。

そうかもしれません、私自身もどれほど未来を夢見たところで叶ったわけではないですから。

ですがそんな風に考えても叶わなかった過去があるからこそ、今も未来を夢見ることは止めないのです。

自分が望んだ未来ではない今があるからこそ、それでもまだ訪れていない未来に向かっての希望は捨てない。

それさえ捨ててしまったら、幸福な未来が向こうから勝手にやって来てくれると受け身になってしまったら、きっと大切な幸福にさえ気づくことができないと思うのです。

ずっと思い描いているからこそ、望んでいるからこそ、その気配があった時に迷わず行動できるのだと思うのです。

突然降って湧いた出来事には、きっと冷静に行動できないだろうと。

フィクションを描くストーリーテラーだって、エンディングまでの物語を描き続けるでしょう?

私達の人生という物語、一度きりの大切な物語ですから、しっかりと考えて生きたいのです。

間違えることだってあるでしょう、失敗することだって、後悔することだってたくさんあります。

それでも生きているから、同じように幸福なことも、嬉しいことだってたくさんあるはずです。

追い詰められている時、心が苦しみに捕らわれている時、その幸福や嬉しいことは見えないことがあります。

身近な幸福ほどそれは見え辛く、気づき辛いのです。

ご飯を美味しく食べられることも、誰かと談笑するささやかな時間も、温かい布団で眠ることも。

どれも幸福や嬉しさを感じる時間なのです。

そういった時間にも目を向けてみてください、誰が見てもわかりやすい幸福だけが全てではありません。

むしろこういった日常の中にある幸福を感じることができる方が、余程幸せなことではないかと思います。

私はそんな自分の物語を思い描いています。

今はまだ難しいことでも、達成できない可能性があっても、思い描くことはやめません。

いつかその思い描いた未来を近くに感じた時、自分の意志で迷うことなく選べるように。

追い詰められても、時間をかけてでも落ち着いて、自分の未来を思い描き、選んでいってください。

それでは今回はこのあたりで。

あなたの大切な時間で読んでいただき、ありがとうございました。

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